2010/09/29

ツイッターのタグライン

人に「時代に乗り遅れるよ」と言われて
Twitter を覗いてみました。


まず目に入ってきたのが
世の中の「今」を知る最高の方法です
というキャッチコピー。


英語版を見たところオリジナルは
The best way to discover what’s new in your world.
でした。


Twitter は時代の先端を行くメディアだし
せっかく一番目立つところにあるコピーなので
もっとかっこよくしたいですね。


せめてグーグルやアップルのノリで
世の中の「今」を知ろう
くらいはやってもいいのではないかと思いました。


もちろん翻訳では「The best way」は見逃せないでしょう。
A best way」ではなく「The best way」なのですから。


でも、キャッチコピーの自然さをとるなら
「最高の方法です」は、ちょっと耳障りです。


また「What's new」を「今」と訳すことで
オリジナルの意味を全部カバーできるかどうか
ちょっと考えたいですね。


よく挨拶で「What's new?」と言ったりしますし…

またなぜ
「What's new in the world」でなく
「What's new in your world」なのか?

つまり
それぞれの個人の「World」ということ
なのでしょう。 

意味としては
「あなたが個人的に知りたいことの旬の情報を見つけるならTwitter が 一番いい」
ということでしょう。

となると
知りたいならTwitter が一番
というようなアプローチも成り立ちそうです。

もっと縮めて
一番情報はTwitter
とか
Twitter なら見つかるよ
とか、どうでしょう?


あるいは
それってどうよ?
Twitter しよう!
とか?






2010/09/16

エレベータのメッセージ



先日、仕事の打ち合わせで
外資大手メーカーを訪ねたとき
ミーティングルームに行くために
エレベーターに乗ったのですが
締まったドアにシールが貼ってあり
こんなことが書いてありました。

Silence please.  会話はひと休み

眺めながら、
「いい訳だな~」と感心。

トランスクリエーションの好例
といえるのではないでしょうか。

2010/08/03

トランスクリエーション



翻訳を勉強しはじめたころから
どうも頭にひっかかっていることがあり
それをどう言葉にしたものか
うまい表現が見つからなかったのですが

最近、仕事をするようになった
ロンドンのある会社からのメールのなかに
それを表すちょうどいい言葉が見つかりました。

それが「Transcreation(トランスクリエーション)」です。

まずこの言葉についてですが
translation=翻訳」と「creation=創造」という
二つの言葉の造語です。

意味はつまり
「翻訳なのだけれど創作」ということでしょう。

例を挙げて説明してみましょう。

内容をわかりやすくするため
ちょっと極端な書き方をしますね。

<例1> 英語日本語
原文=Thank you
翻訳=ありがとう(直訳 あなたに感謝します)
トランスクリエーション=嬉しいわ

<例2> 日本語英語
原文=ありがとう(「有難く」のウ音便化)
翻訳=Thank you 直訳 It rarely happens.
トランスクリエーション=You’re great.

もちろん翻訳として
Thank you」は「ありがとう」ですし、
「ありがとう」は「Thank you」です。

けれど、映画などの字幕を見ていてわかるように
Thank you」を「嬉しいわ」とした方が
ぴったりくる場面がありますし
「ありがとう」が「You are great!」となる
場面もあります。

この「ぴったりくる」が
トランスクリエーションの
一番の存在理由です。

そしてこの「ぴったりくる」を
一番必要としているのは
学術研究や文学の世界ではなく
ビジネスです。

外資系企業などで
ローカライズの仕事を何年か担当された方なら
トランスクリエーションの必要性を
たぶんわかっていただけるのではないでしょうか。

外国製ソフトウェアのマニュアルや
製品説明の日本語を読んで
言葉はわかるのに内容がほとんど頭に入ってこない
といった経験があるのは僕だけではないでしょう。

そんなことになってしまうのは
そうした資料が原文に寄り添った
忠実な翻訳であるからです。

翻訳は原文に忠実でなければいけません。

これが翻訳を学びはじめてから
ずっと僕の頭にひっかかっていたことです。

この忠実さは翻訳をやる以上
絶対的なルールなのですが
ここから「ぴったりくる」自然さは
生まれにくいのです。

忠実に原文に寄り添うことによって
原文に宿っていた生命が抜けてしまうことが
あるのだと思います。

トランスクリエーションは
そうした悩みを解消する
翻訳の在り方を表した言葉
なのではないかと
僕は考えています。

ちなみにウェブを散歩していたら
こんなふうにトランスクリエーションを
紹介しているブログがありました。

ご参考までにblog.alaya

2010/07/14

フーガについて





もう10年以上も前のことですが
新聞でグレン・グールドについての
記事を読みました。

フランス文学者の広津和郎さんが書いた
記事だったような気がします。

グレン・グールドの弾くゴルトベルク変奏曲を聴いて
「こんなバッハがあるのか」と驚いた
という内容でした。

それで興味が出て
グールドのゴルトベルク変奏曲のCDを買い、
さらにみすず書房の『グールド著作集』を買ってきて、
かなり楽しみました。

グールドのゴルトベルク変奏曲の録音は
ご存じのように若い時のやつと死ぬ直前とやつと
2枚あるのですが

それも後で知って
あわてて2枚目の方も買い足しました。

個人的には2枚目の方が好きです。

ところでグールドの演奏を聴き
書いたものを読むうちに
世の中には「フーガ」という
音楽形式が存在するのだ
ということを覚えました。

「フーガ」を簡単に説明しますと
同じ旋律(音型)が転調されたり
長く引き伸ばされたりして
展開される音楽です。

同じメロディを一音も変えずに
声部を変えて展開していく音楽形式に
「カノン」というのがありますが、
「フーガ」はこれよりずっと自由です。

バッハの曲で「パッサカリアとフーガ」
というのがありますが、
「カノン」同様の厳格さを要求される
「パッサカリア」が終わったあとで
出てくる「フーガ」の冒頭は
まさに鎖を解き放たれた囚人の
喜びに満ちています。

余談ですが
有名な「トッカータとフーガ」の場合は逆で、
勝手気ままな「トッカータ」のあとに
形式を感じさせる「フーガ」が出てきますので、
こちらはきかん坊の子供が
学校に入れられて
分別をつけられたような感じに
僕には聞こえます。

さて、本題の「フーガ」ですが
バッハのいたバロック時代が終わったところで
その命は断たれた

と僕は考えています。

というよりも、
そう、感じております。

ロマン派の作曲家も
現代の作曲家も
みんな「フーガ」を書いていますが
どうも「フーガ」らしい響きではない
ような気がするのです。

そこで以下、
ショパンや、モーツァルトや、
ベートヴェンの書いた「フーガ」を
お聞かせしながら

その感じをなんとか
お伝えしてみたいと思います。

まずショパンの書いたフーガ。

これは思うに
「ちゃんとフーガのように聴こえる曲」です。 

「フーガのように聴こえる」というのは
僕にとって「バッハのように聴こえる」という意味ですが、
まあ聴いてみてください。 

イ短調フーガです。 


ショパンが上の曲をつくるのに参考にした
(と僕が勝手に思っている)バッハのカノンです。

この曲の響きが僕は好きなのですが、
どこか不安定な中世的なサウンドです。

フーガの技法から「Canone IV




これにくらべてモーツアルトはこんな感じ。

「幻想曲とフーガ」(プレリュードとフーガ?)ハ長調です。
フーガの部分だけどうぞ。 


最後はベートーベン。
ソナタop1103楽章です。
フーガは中間部と最後部。
フーガのテーマは最初と最後で鏡像関係にあります。
ピアニストはグールドです。
フーガのところだけどうぞ。


どうですか?
ショパンの方が(習作ながら)
フーガらしく聞こえません? 

僕の耳には
モーツアルトとベートーベンの方は
単一テーマの上に
ただフーガ風のバリーエーションを
載せているだけのように聴こえます。

そのせいでテーマがあくまでも主役で
あとはわき役、
メロディと対位法的な伴奏になっちゃっている
……といえば言いすぎでしょうか。 

最後は
グールドがふざけて書いたフーガ。
これはバッハの模倣ですが、
しかしいかにもフーガらしい響きです。

タイトルは「フーガを書きたいの?」
フーガを書きたければ、ほら、書いてごらん、
というような歌詞です。


フーガは同じ旋律を
対位法で(カノンの厳格さと比べて)自由に
反復展開していく形式ですが、
きれいな響きで感動を与えるものを書くのは
やはり一筋縄ではいかないようです。 

おまけとして、
ヒンデミットのフーガをひとつ。
これは結構気にいっています。
響きというよりもフレーズがかっこいいから。


皆さんもどうぞ自作のフーガに挑戦してみてください。
けっこう遊べますよ。 

ああ、そうそう、
結局のところの結論としましては、
こうなります。 

バッハの息子のエマニュエルの時代には
もうフーガの魂ははかなく消えてしまい、
あとは形式だけが残ったということです。

ショパンはうまく作っていますが、
「フーガってこんな感じかな?」という書き方です。
あくまでも、私見ですが…