2010/07/14

フーガについて





もう10年以上も前のことですが
新聞でグレン・グールドについての
記事を読みました。

フランス文学者の広津和郎さんが書いた
記事だったような気がします。

グレン・グールドの弾くゴルトベルク変奏曲を聴いて
「こんなバッハがあるのか」と驚いた
という内容でした。

それで興味が出て
グールドのゴルトベルク変奏曲のCDを買い、
さらにみすず書房の『グールド著作集』を買ってきて、
かなり楽しみました。

グールドのゴルトベルク変奏曲の録音は
ご存じのように若い時のやつと死ぬ直前とやつと
2枚あるのですが

それも後で知って
あわてて2枚目の方も買い足しました。

個人的には2枚目の方が好きです。

ところでグールドの演奏を聴き
書いたものを読むうちに
世の中には「フーガ」という
音楽形式が存在するのだ
ということを覚えました。

「フーガ」を簡単に説明しますと
同じ旋律(音型)が転調されたり
長く引き伸ばされたりして
展開される音楽です。

同じメロディを一音も変えずに
声部を変えて展開していく音楽形式に
「カノン」というのがありますが、
「フーガ」はこれよりずっと自由です。

バッハの曲で「パッサカリアとフーガ」
というのがありますが、
「カノン」同様の厳格さを要求される
「パッサカリア」が終わったあとで
出てくる「フーガ」の冒頭は
まさに鎖を解き放たれた囚人の
喜びに満ちています。

余談ですが
有名な「トッカータとフーガ」の場合は逆で、
勝手気ままな「トッカータ」のあとに
形式を感じさせる「フーガ」が出てきますので、
こちらはきかん坊の子供が
学校に入れられて
分別をつけられたような感じに
僕には聞こえます。

さて、本題の「フーガ」ですが
バッハのいたバロック時代が終わったところで
その命は断たれた

と僕は考えています。

というよりも、
そう、感じております。

ロマン派の作曲家も
現代の作曲家も
みんな「フーガ」を書いていますが
どうも「フーガ」らしい響きではない
ような気がするのです。

そこで以下、
ショパンや、モーツァルトや、
ベートヴェンの書いた「フーガ」を
お聞かせしながら

その感じをなんとか
お伝えしてみたいと思います。

まずショパンの書いたフーガ。

これは思うに
「ちゃんとフーガのように聴こえる曲」です。 

「フーガのように聴こえる」というのは
僕にとって「バッハのように聴こえる」という意味ですが、
まあ聴いてみてください。 

イ短調フーガです。 


ショパンが上の曲をつくるのに参考にした
(と僕が勝手に思っている)バッハのカノンです。

この曲の響きが僕は好きなのですが、
どこか不安定な中世的なサウンドです。

フーガの技法から「Canone IV




これにくらべてモーツアルトはこんな感じ。

「幻想曲とフーガ」(プレリュードとフーガ?)ハ長調です。
フーガの部分だけどうぞ。 


最後はベートーベン。
ソナタop1103楽章です。
フーガは中間部と最後部。
フーガのテーマは最初と最後で鏡像関係にあります。
ピアニストはグールドです。
フーガのところだけどうぞ。


どうですか?
ショパンの方が(習作ながら)
フーガらしく聞こえません? 

僕の耳には
モーツアルトとベートーベンの方は
単一テーマの上に
ただフーガ風のバリーエーションを
載せているだけのように聴こえます。

そのせいでテーマがあくまでも主役で
あとはわき役、
メロディと対位法的な伴奏になっちゃっている
……といえば言いすぎでしょうか。 

最後は
グールドがふざけて書いたフーガ。
これはバッハの模倣ですが、
しかしいかにもフーガらしい響きです。

タイトルは「フーガを書きたいの?」
フーガを書きたければ、ほら、書いてごらん、
というような歌詞です。


フーガは同じ旋律を
対位法で(カノンの厳格さと比べて)自由に
反復展開していく形式ですが、
きれいな響きで感動を与えるものを書くのは
やはり一筋縄ではいかないようです。 

おまけとして、
ヒンデミットのフーガをひとつ。
これは結構気にいっています。
響きというよりもフレーズがかっこいいから。


皆さんもどうぞ自作のフーガに挑戦してみてください。
けっこう遊べますよ。 

ああ、そうそう、
結局のところの結論としましては、
こうなります。 

バッハの息子のエマニュエルの時代には
もうフーガの魂ははかなく消えてしまい、
あとは形式だけが残ったということです。

ショパンはうまく作っていますが、
「フーガってこんな感じかな?」という書き方です。
あくまでも、私見ですが…